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【本音と建前】愛があるなら本音を言え。愛がないなら建前を言え

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ぼくはいつでもどこでも誰にでも、素の自分でありたいと思って生きてきた。
誰に対しても自分の本音を開けっぴろげに伝えられる。
本音を伝えた上で離れていく人がいれば、ただ単純に「合わなかった」というだけでいい。

本音で付き合える仲間や大切な人とだけで、楽しく人生を過ごしていきたいと思っていた。いやむしろ、ハッピーな人生を過ごしていくためには、いつも本音である必要があると思っていた。

だが、ぼくの考え方は変わった。

「いつでも”本音”じゃなくてもいい」
「本音と建前をうまく使い分けていこう」

その方が、自分も周り人々もハッピーに過ごせるからだ。

なぜ本音と建前を使い分ける必要があるのか?

人には「キラキラした部分」と「ドロドロした部分」がある。

「キラキラした部分」とは、人を愛し、慈しみ、大切に思う心。
「ドロドロした部分」とは、人を憎み、蹴落とし、卑下する心。

人によって、「キラキラ」と「ドロドロ」の割合は違う。
「キラキラ70・ドロドロ30」の人もいれば、「キラキラ10・ドロドロ90」の人もいる。

これは、「キラキラ100を目指そう!そしたら人生は素晴らしくなるから!」という話ではない。

「誰にでもキラキラとドロドロの部分がある。だから相手によって自分を見せる部分を変えよう」ということだ。

キラキラ100の人がもし存在するなら、いつも本音でもいいのかもしれない。自分や周りを含め、ハッピーにできることだろう。
だが多くの場合、ドロドロした毒の部分も人は持ち合わせている。だからいつも本音でいると、近くにいる人を傷つけてしまうことになる。
だから本音と建前を使い分けて、生きていこう。

「人を傷つけることは悪いことなのか?」

「生きていれば人を傷つけることもあるさ。人に気を使ってばかりいては、自分の人生がなくなってしまうよ。」

こう思っていた自分がいた。

でも考え方が変わった。
今はなるべく”人を傷つけたくない”、”人を傷つけてはいけない”と思っている。
なぜ変わったかというと、”人に傷つけたられたから”だ。

湯布院で言われたい放題だった話

以前書いた記事にある通り、前に働いていた湯布院の旅館では、お局さんや支配人や女将さんにキツくキツく当たられまくった。

「『窓を拭いておけ』って言ったら下も掃いておけや!わかるやろ!」
「なんでそんなことも教わってないんや!バカか!」
「そんな大きな目でこっち見るなや!気分悪いわ!」

思い出すだけで悲しくなる。
”傷つけられた”と言ったら大げさかもしれないが、確かにあの時ぼくは傷ついた。
「本音でそう思っているにしても、もっと言い方っていうものがあるのではないですか?」と思った。
(思っただけで言わなかった。ここでの本音は言うべきだったのかな。)

ここでぼくは学んだ。
「いくら本音でそう思っているにしても、相手を傷つけるのなら言わない方がいいこともある。」
「もしくは、言い方に気をつけよう」

愛があるなら本音を言え。愛がないなら建前を言え

多分、あの旅館で働いていた人たちは、人に対する思いやりが足りなかったのだろう。
どんなにキツイ本音でも、そこに愛があればスッと伝わるものだ。
だが、あの旅館で働いている人々にはぼくに対する愛がなかった。
いや、見ている限り、旅館でともに働き続けているお互いへの愛もなかったように見える。「ババアwww」「馬鹿かよwww」と言った言葉が飛び交っていたから。

愛のない本音は聞いていて気持ちが悪くなってくる。
ドロドロとした感情が流れ込んでくる。

愛のある本音を持ち、伝えることができるのならどんなに素晴らしいことかと思う。
だが、誰にでも愛を持つことは我々人間にはどうにも難しいことのように思う。

だから、相手に愛を持てないのなら、潔く建前で伝えよう。
言葉に愛を持てないのなら、言葉を後付けの愛でラッピングするイメージ。
見た目は悪くない。

中身は詰まっていないかもしれないが、相手を悪い気持ちにさせることはない。
全ての人を気持ち良くさせることができれば言うことなしだが、それができないのならせめて気持ち悪い思いだけはさせたくないものだ。

まとめ

本音と建前は使い分けた方がいい。
本音だけで生きていては、多くの人を傷つけてしまうから。

相手に愛があるかどうかを感じよう。
本音で相手を傷つけることがあっても、そこに愛があるのなら良しとしたい。
相手につけた傷はきっと、相手が成長することにつながると思うから。
その代わり、相手が成長するまでを見届ける義務が生じることを忘れてはいけない。

相手に愛がないのなら、建前で伝えよう。
愛のない本音は相手を傷つけるだけで、何も生み出すことはない。
人間関係では必ず何かを生み出さないといけないわけではないのだが、あえて相手の心に傷をつける必要もない。

本音と建前を使い分けられる配慮を持つことは、人と関わる上でとても大切なことだ。