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ララライフ!

心と体の健康を取り戻すためのブログ

【思うこと】だから私は「職場の人間関係」を諦めることにした

 私の今の職場の人間関係は、辛い。

どう辛いのかというと、「派閥がある」とか、「職場全体の雰囲気悪い」というわけではなく、ただただ「私への風当たりが強い」

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例えば、

・まっすぐと顔の近くに指を刺されながら注意される(これはもう本当にイラつく)
・大きな声で注意される(大きな声を出さないでほしい)
・半笑いで注意される(これはこれでイラつく)
・私と他の人が同じことをやっても、私にだけ注意する(なんでやねん)
・「それは違う」と注意されたことは、あなたに教えられたことだ(どっちやねん)
・私が職場に着くと、あからさまに不機嫌になる(子供か)

もちろん全員からこのように当たられるわけではなく、いわゆる「お局さん」からこのような攻撃を受けている。

まだ初めて2週間の仕事。自分にも至らない点は多々ある。
一昨日まではこの状況やお局さんの態度をポジティブに捉えようとしていた。
「この人は私のために言ってくれている」
「私がもっと完璧に仕事ができるようになればいい」
「これも修行」

だが、昨日になって、ふと思った。

「もう、無理」

そして私は、「職場で良い人間関係を築くこと」を、諦めることにした。

「職場で良好な人間関係を築かないといけない」と思い込んでいた私

だって、職場で過ごす時間は長い。どうせなら楽しい人間関係の中で仕事をしたほうが楽しい。
私は平和主義なので、いつでも人間関係は良好でいたいし、人を嫌いになりたくない。
なぜなら「嫌いな人が近くにいると気分が悪いから」

だから、なるべくその人の「良いところ」を探して、好きになる。
そして私は「ポジティブな感情」を表に出す意識をしているので、自然と相手に「あなたのことが好きですよ」という気持ちが伝わり、人間関係も良好になっていく。

何においても「人」は重要だ。「人」が僕に及ぼす影響はとてつもなく大きい。
どんなに私がハッピーでも、私の隣にいる人が超不機嫌なら私もその影響を受けてハッピーが削がれる。逆に私が落ち込んでいる時でも、隣に超絶ハッピーな人がいれば、そのハッピーをおすそ分けしてもらえる。

そして、仕事をするにしても「自分の今の精神状態」はとても大きな影響を及ぼす。
「ハッピー過ぎて、上の空」でもダメだが、「落ち込んでドロドロな気持ち」では、あまりいい仕事はできない。
(とくに私は接客の仕事をしていたので、主観でも客観でも、精神状態の影響を強く感じる)

仕事をするからには、「良い仕事」をしたい。そして「良い仕事」をするためには、「良い人間関係」が必要だと思い込んでいた。

職場の人間関係はさっさと諦めよう

「いい人間関係でいい仕事ができる」

この思いは今も変わらないが、「いい人間関係を築くために失うものが大きいのなら、”いい人間関係”なんてさっさと諦めればいい」と思うようになった。

もっとわかりやすく言うと、「”悪い人間関係で働くストレスと”良い人間関係を築くためのストレス”、どちらが大きいか?」ということだ。

私は今まで「良い人間関係」を築くのに、ここまで大きなストレスを感じたことはない。
これまで働いてきた会社はとても最高だったので、多少合わない人がいても、「会社の理念」という”想い”を共有していたため、どんなに意見が食い違う人でも根っこの部分で分かり合えていた。

だが、今回の私のようなケースだと、「悪い人間関係の中で働くストレス」よりも、「良い人間関係を築くためのストレス」の方が圧倒的に大きい。

【ストレス比】
良い人間関係で働く<悪い人間関係で働く<<<<良い人間関係を築く

「ストレスなく、ハッピーな気持ちで仕事がしたいから良い人間関係を築こうとしているのに、”良い人間関係を築こう”という想い自体がストレスになっている」という現状に気づいた。

「これでは本末転倒だ」

だから、私は職場で良い人間関係を築くことを諦めた。

そもそも、職場で良い人間関係を築くのなんて無理ゲー

なぜなら、「気が合わない人が集められているから」だ。

例えば、プライベートでは「気の合う人」と仲良くなる。
学生時代では、同じ年齢の人たちが周りによりどりみどりなので、近しい価値観や趣味の人と自然と仲良くなれるし、気が合わない人とは、自然と距離を置くことも容易だ。

だが「職場」ではそうもいかない。
職場の採用係は、「私と職場の人が気が合うかどうか」なんて全く考慮しない。
だが、一度仕事に就けば、そんな気の合わない人たちと四六時中一緒に仕事をすることになる。

そりゃあ気が合わないんだから、気に食わないことだってある、お互いに。
普通は大人だから、適度な距離感を保って、妥協と迎合を繰り返して「良い人間関係」を保とうとする。
だが、もし相手にその気がないのなら、こちらが譲歩する必要なんてない。それではただ私の心が消耗するだけだ。

職場でもプライベートでも、”良い人間関係”のためには「お互いの歩み寄り」が必要不可欠だ。もちろん、「歩み寄り方の比重」はどちらかに偏る時もある。
例えば、話しかけたり、ご飯に誘ってみたり、ちょっとしたことでお礼を言ってみたり。きっかけはどちらか一方の歩み寄りからだが、気が合えば、自然と良い関係を築くことができる。

だが、私のケースの場合だと、「私がお局に歩み寄っても、私がお局に歩み寄った分、お局が離れていく」という状態だ。
これでは一生歩み寄ることはできないし、良い人間関係を築くことはできない。
(もしかしたら、お局が歩み寄ろうとして、私が離れているのかもしれないが)

どちらにしても、私はお局へ歩み寄ることに疲れたし、「そもそもこの人といい人間関係を築きたくない」と思っている。
お局と歩み寄ろうとすることで、私の「アタマとココロ」が離れ離れになっていく感覚がする。
私にとってはそれはとても悲しいことだ。仮にどんなに大切な人と人間関係を築くにしても、私のココロを置いてけぼりにすることはできないし、したくない。
(ココロが歩み寄りたいと願うから、大切な人なのかもしれないが。)

仕事に没頭すれば、職場の人間関係とかどうでもよくなる

今回の私の失敗点は、「良い人間関係を築くのに、力を注ぎすぎたこと」だ。
いい仕事をするためには、良い人間関係を築くのは「大切」なことだが、「一番重要」ではない。それなのに、「自分の仕事は良い人間関係を築くこと!」と言わんばかりに、良い人間関係を築くことを重要視しすぎた。

もちろん仕事は本気でやっているし、日々できることが増えていくのは楽しいことだ。
だが、「出来ていること」に目をつむり、「出来ていないこと(しかもどうでもいいこと)」に目を向けすぎていたことに、この数日で気づくことができた。

これからは、もっともっと仕事に没頭していく。
結局、悩むのは”ヒマ”だからだ。
「どうでもいい人間関係」に悩むほどの力が余っているから、悩む。
ならば、”ヒマ”がなくなるほど仕事に没頭して、めちゃくちゃ仕事ができるようになればいい。
お局が私のことを突いてくるポイントは結局仕事に関することなので、お局がぐうの音も出ないほど、私が仕事をできるようになればいい。

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まとめ-「どうでもいいこと」をトコトンどうでもよくする

職場の人間関係(というかお局からの執拗な攻撃)に悩んでいた私が、「職場の人間関係を諦めること」にした理由は以下の通りだ。

・「いい仕事」をするのに、「職場でいい人間関係を築くこと」は大切だけど、”一番大切”ではない
・「職場の人間関係」を築くのに、力を注ぎ過ぎると、自分の心を消耗してしまい、結局「いい仕事」をできなくなる
・そもそも気が合わない人同士が集まっているんだから、「職場でいい人間関係を築く」のは無理
・いい人間関係を築くのに疲れたら、さっさと諦めて仕事に没頭する

一言でまとめると、「自分にとって一番大切なことを見極めよう」ということだ。

職場はもとより、日常生活のあらゆる場面で「どうでもいいことに時間やエネルギーを注いでしまうこと」はあると思う。しかも無意識に、だ。

私は無意識のうちに、「職場でいい人間関係を築かなければ、私の世界はうまく回らなくなる」と思い込んでいた。(怖い)

だが、私の世界は職場以外にも広がっている。
このブログもそうだし、親しい友人も、仲間もいる。(今回、”職場の人間関係を諦めること”に気づけたのも、このブログや友人のおかげだ。感謝。)

「どうでもいいこと」に力を注ぐのは、自分がもったいない。
「どうでもいいこと」は、とことんどうでもよくして、もっともっと私を大切に、私の大切にしたいことを大切にしていく。